早いもので12月ですか。去年はこの季節は嫌でしたねぇ。
まぁ、勉強していたかというと実質していなかった気もしますが。
終わったことなので良しとしませう。
後輩が例によって浪人して今年受験ですが、どうなることやら。
人事ながらそれなりに気になりますな。現役の時とーこー大とKOだけしか受けてなかったからなぁ…
ある意味そこが実質的に気になるところ。今年もそれをやるのかどうかと。
受かればいいけど、落ちたらどーすんのかしらと。
2浪って多分重度の鬱病になると思うんですがどうなんでしょうか。


そういえば、高校の時に誰がいたか全く記憶に無いんですよね。
特別困ることも無いですけど。
最近気が付いた事実に、夢の中に出てくる登場人物が恐らく小学校止まりの記憶の中でのみ
構成されている気がするのですが。
全く知らないという人間が出てくるということは稀だと思いますが(というより夢の
カニズム上記憶が元の筈なので)、最近の極知っている少ない人間すら登場頻度が至って
少なく出てくるのが小学校時代の知人友人ってのもねぇ…
なんだか悲しいものもある気もしますが、下手に出て来られて、起きた後に
「あいつ誰だっけ」となるよりかは知っている方が良いことに越したことは無いのですが。
むしろ前にも書きましたけど、夢を覚えていることの方が稀なので、知っている人間が出てくる
夢の方が記憶に残りやすいというのもあるかもしれませんが。


夢なんだからもっと自由なことをさせて貰いたいものですが、どうしてこうも現実に沿った流れなんですかね。
ありえない構成なのは極稀で、そういうのは大抵覚えているんですが、日頃見る夢は余りにも
毎日と変わらないのでつまらないという訳です。
まぁ、夢なのでそんな上手く行く訳ではなく、所々チグハグで矛盾してるようなことも多々
あることはあるのですが、電車とか乗っててふとあれは何だっけと思いを寄せていると、
それがまぎれも無く夢の話だったと思い出すこともあるのですね。
つまりは、夢の大まかな流れはシナプス的に既に脳内で作られており、現実のちょっとしたきっかけで
回路が構成されるのでしょう。そうすると現実にあった記憶と夢との区別が付き辛くなると
いう訳ですね。
3億円当たったとかなら夢だと判断できそうなものの、夢の中で何時に起きてどうしたとか
いう様な細かな設定を記憶下に置かれると、実際そうしたのか夢なのかの区別のしようがありませんからね。
では、そういった夢なのか現実かの区別を人間はどう理解すればいいのでしょうか。
現実も夢も結局は脳内で理解される出来事であって、人間が物理的に定義することなどは
出来る筈も無いでしょう。
出来て、起きていたら現実、寝ている状態を確認できたら非現実ってことを証明する程度
じゃないでしょうか。
それは証明と言うより、相対的な立場からどう見るかの定義だけの様な気もしますがね。
ましてや宇宙空間や量子力学に代表される非現実的な次元空間なんて想像による定義
でしかない訳ですからね。
非科学的になるようですが、人間のできることなんてほんの些細なことなんじゃないですかね。
ひょっとしたら、何も出来ていないのかもしれませんし。
自分の存在が何であるかすらの定義すらあやふやで、存在意味のそれすらも分からないのですから。
ラプラスの悪魔に代表されるように、人間は自己とその周りを取り巻く環境の極僅かしか
この高度文明下ですら理解していないのですからね。


ですが、夢は夢であるからこそ、その価値があるのでしょう。
起きている状態を現実と位置づけるという定義に基づくからこそ、その価値は色あせることが無いのです。
うつつまくらのようなものがあれば、日々に代わり映えのある華やかさを求める事など到底
ありもしないのですから。
せめて夢の中では、華やかさを望むと願うことにしましょう。